かわまたシルクとは
かわまたシルク(川俣絹織物)の歴史
みちのくの玄関口である福島県は、磐梯山・猪苗代湖をはじめとする自然景観の美しさは言うに及ばず日本有数の絹織物の産地として知られています。
特に、吾妻・安達太良山の麓に広がる信夫地方(福島市中心)、そして川俣羽二重で名を馳せたる伊達地方(川俣町・飯野町( 現在は福島市)中心) は、古来から養蚕・機織業が非常に盛んな土地で、強固な屏風のように左右に連なる奥羽山脈は、桑の育成に最も適した気候風土であり、純白な輝きと光沢をもつ絹が生まれるべくして誕生したといえます。
川俣の養蚕・絹織物は、史誌の伝えるところによると、今からおよそ1400年前、崇峻天皇の妃であった小手姫が、蘇我馬子に故郷大和を追われた皇子を探しもとめてこの川俣に辿りつき、桑を植え養蚕を行い、糸をつむぎ、機織の技術を伝えたといわれています。
この時から、絹は川俣の物産として各地に広がり、楯絹の名声は、全国に波及しました。
また、江戸時代末期の開国直後から1960年代まで日本の代表的な輸出産業だったのが絹織物で、その絹織物の産地として、日本を代表するひとつに福島県川俣町があります。
現在、安価な外国製品や化学繊維の登場で国産の絹織物は低迷をしていますが、世界最高水準の技術を武器に復活を目指しています。